四高日誌

2019年3月の記事一覧

校長室だより【3月(その2)】

「幻の校歌二番と東京オリンピック聖火リレー」
                      平成31年3月30日  校長 外山 信司

 高校入試が終わり、3年生を送り出したと思ったら、アッという間に平成30年度も残すところ二日となってしまいました。
 さて、今さら言うまでもありませんが、四街道高校の校歌の一番は「下志津原の空澄て」と始まって「郷土の誇りよ」で終わり、二番は「筑波嶺蒼く富士白く」と始まって「心のふるさと」で終わります。これが四高(よつこう)の校歌すべてだと思っていたのですが、先日、ある職員と昭和41年(1966年)に出された、四高の創立15周年記念誌『十五年のあゆみ』を見ていたところ、ビックリしてしまいました。
 実は、「筑波嶺蒼く」で始まる今の二番は、もともと三番だったということを発見したのです。つまり、「下志津原の空澄て」の後に、別の二番があったのです。その幻の二番の歌詞は次のとおりです。

  榎の若葉  みどり濃く  不屈の気魄(きはく)  わきたつ力
  働くわれら  もろともに  はげめば胸に  血はたぎる
    四街道高等学校   生命(いのち)の泉よ

 そして、この次が「筑波嶺蒼く」で始まる三番だったのです。
 なぜ、この「榎の若葉 みどり濃く」で始まる二番が廃止されてしまったのでしょうか?
 残念ながらその理由はわかりません。しかし、校歌が作られた昭和41年、今から53年前の頃、四高は昼間に授業をする定時制、つまり昼間定時制(ちゅうかんていじせい)の学校で、卒業まで4年かかりました。まだ日本は豊かではなく、若者は働きながら学ぶことが求められていたのです。農業に携わる生徒も多く、田植えと稲刈りの時期には、「農繁休業」といって、農作業をするために学校が休みになったそうです。もちろん、工場や商店、事務所などで働いている生徒もたくさんいました。
 ところが、高度成長期に入って日本が豊かになってくると、学生は勉強に専念することが求められ、四高も昭和47年(1972年)には、今のように3年間で卒業する全日制の高校となったのです。
 以下は、あくまでも私の想像ですが、全日制になった時に、当時の二番にあった「働くわれら もろともに」という歌詞が、全日制の高校にふさわしくないということになり、二番を廃止し、三番を二番にしたのではないでしょうか?しかし、幻の二番の歌詞もとても素晴らしいと思います。今度、合唱部の皆さんに、ぜひ幻の二番を入れたかたちで復活版を披露してほしいと思います。

 ところで、来年、東京でオリンピック・パラリンピックが開催されます。しかし、55年前の昭和39年(1964年)に、一回目の東京でオリンピックがありました。
 その一回目の東京でオリンピックの聖火リレーを四高生が走っていたのです。このことも『十五年のあゆみ』に写真入りで出ており、これにもビックリしました。当時の記録を調べてみると、聖火は北海道を出発し、青森、岩手、宮城、福島、茨城を経て千葉に入りました。四高生は、昭和39年10月6日、佐倉市付近から千葉市まで国道51線をリレーしました。写真には、胸に日の丸と五輪のオリンピックのマークの入った白のランニングシャツと短パンを着た男子6名と、同じデザインのTシャツと短パンの女子6名が写っています。
 聖火は千葉市の県庁で一泊し、翌10月7日に出発して東京に到着し、10月10日の開会式で代々木の国立競技場の聖火台に灯されたのです。このような隠されたエピソードを知ると、来年の二回目の東京オリンピックがさらに待ち遠しくなるのではないでしょうか。

 以上、古い話ばかりしたので、「そんなの関係ない」と言われそうですが、人間は、今だけで存在しているのではありません。過去があって現在があり、未来があるのであって、過去と現在と未来は連続しているのです。過去を大切にすることが現在を大切にすることであり、未来を切り開くことになるはずです。
 今回で、私が担当する「校長室だより」は最終回です。御覧いただいた方々には心より感謝申し上げます。ありがとうございました。

校長室だより【3月】「大人の生き方-卒業生へ-」

「大人の生き方-卒業生へ-」
                      平成31年3月7日 校長 外山 信司

 梅の花が満開を過ぎ、桜の開花も待ち遠しく、いつの間にか春となっていました。
 ところで、春をなぜハルというのでしょうか?ハルの語源としてよく知られているのが、「草木の芽がふくらみ、張るから」という説です。また、ある国語学者は、「晴れる」という意味の古い言葉「晴る」が語源ではないかと言っています。暗く寒い冬が去って、太陽の光が力を増して暖かくなり、すべてのものが晴れやかに開けるときを、いにしえの日本人は「ハル」と呼んだのです。「晴る」「晴れる」の本来の意味は、雲や霧が消えて青空が見える状態のことです。「気が晴れる」というのは、気掛かりなことや嫌なことがなくなって、心がすっきりと開けた状態のことです。「遥か」は遠くまで見渡せることです。
 このように考えると、卒業を迎えた三年生の皆さんは、まさにこれからグングンと成長していく草木の芽であり、輝かしい将来に向かって人生が晴れやかに開ける瞬間を迎えたのです。

 さて、作家の伊集院静さんの本に「大人の流儀」というシリーズがあります。八作目となる最新刊は、『誰かを幸せにするために』というタイトルが付けられています。海の事故で亡くした弟さん、病気で若くして亡くなった、妻で女優の夏目雅子さんのことも感動的ですが、他にも人生について深く考えさせられることが詰まった本です。
 伊集院さんは、この本の冒頭に「人は誰でも自分のことが可愛い。/それはごく当たり前のことで、そうでなければ、自分を大切にしたり、向上心というものもなくなってしまうだろう。」と書いています。
 私たち教職員も、皆さんが四街道高校で、まずは「自分を大切にする」ことを基礎に据えて、三年間を過ごすことを願いました。高校生活は大人になるための「充電期間」であり、「自分を大切にする」ことが将来を切り開くことになるからです。そして、自分を大切にできない人、つまり自分を粗末にする人が、家族や友達、クラスや部活動の仲間、さらに四高(よつこう)を大切にできるはずがないからです。
 伊集院さんは、日本のプロ野球で活躍し、アメリカのメジャーリーグ、ニューヨーク・ヤンキーズでも大活躍した「ゴジラ」こと松井秀喜さんと親しいのですが、この本で松井さんから聞いたエピソードを紹介しています。
  「中学三年の最後の試合が夏に終わって、僕は部室に置いていた野球道具を取りに行った  んです。部室を出ようとすると、誰もいないはずのグラウンドにぽつんと人影が見えたん  です。あれっ、誰だ ?何をしているんだ? とよくよく見ると、コーチが一人でグラウ  ンド整備をしているんです。炎天下で一人っきりです。そうか、コーチは毎年、こうして  たんだ、と思うと黙ってお辞儀をして帰りました。」
 これに対して伊集院さんは、次のように述べています。
  「世の中は、目に映らない場所で、誰かが誰かのためにひたむきに何かをしているものだ。  /目を少し大きく見開けば、そんなことであふれている。今は目に見えずとも、のちにそ  れを知り、感謝することもあるのだろう。己のしあわせだけのために生きるのは卑しいと  私は思う。/己以外の誰か、何かをゆたかにしたいと願うのが大人の生き方ではないか。」

 皆さんは今日、四高(よつこう)を巣立ち、職場や上級学校という新たなステージに立ちます。法律上の成人は二年後ですが、既に選挙権も持った皆さんは立派な「大人」と言ってよいでしょう。そこで「大人の流儀」を紹介することにしたのです。
 現代の社会では、ことあるごとに「勝ち組」とか「負け組」とか、人間にレッテルを貼って、分断しようとする風潮があります。しかし、皆さんは、これから自分の置かれたそれぞれの場所や立場で、ベストを尽くすとともに、ぜひ大人の生き方をしてください。
 自分に忠実に精一杯生きることが、己以外の誰か、何かをゆたかにすることにつながるのです。『誰かを幸せにするために』には、そのようなメッセージが込められています。