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2019年2月の記事一覧
校長室だより【2月】「電車通学のこと」
「電車通学のこと」
平成31年2月25日 校長 外山 信司
本校の生徒のうち、四街道市内や隣接地域の生徒を除く、約3分の2が電車を使って通学しています。最寄り駅は、いうまでもなくJR四街道駅で、本校は駅から徒歩約12分という好立地にあります。しかも、千葉から四街道駅までの所要時間は10分という便利さで、四街道市がベッドタウンとして発展してきたのも当然です。
さらに、四街道駅には、銚子・成東・八街方面から来る総武本線の電車、佐原・成田・酒々井方面から来る成田線の電車に加え、成田空港と東京都心を結ぶ快速電車も停車するので、広い範囲から生徒が通学しています。千葉駅で乗り換えて外房線の土気、上り方面では市川から通学する生徒もいます。このような遠距離通学が可能になったのも、電車のスピードアップや本数の増加といった利便性向上のおかげでしょう。
先日、親の家で片付けをしていたところ、「国鉄線 四街道➡120円区間」と記された切符が出てきました。もちろん自動販売機で発券されたものではなく、硬券という厚いボール紙製の切符です。昭和55年4月17日という日付が入っているので、今から39年も前のものであることがわかりました。これを見て、昔の総武本線・成田線のことを思い出したので、昭和の頃の交通事情を紹介したいと思います。
私は昭和49年(1974)に高校へ入学しました。定期券を持ち、入学祝に買ってもらった腕時計をして、高校生になったことを実感しました。その当時、千葉~佐倉間は複線化されており、千葉~成田間だけが電化され、都賀駅は開業していました(いずれも昭和43年(1968)の出来事です)。千葉~成田間は電車が走っていましたが、成田線の成田から先と総武本線の列車は電車ではありませんでした(架線がないので電車は走れません)。
したがって、四街道駅に発着する列車の多くは気動車でした。気動車とは軽油を燃料とするディーゼルエンジンを載せた車両で、ディーゼルカーとも呼ばれます。(千葉県内で今も気動車が走っているのは、JR久留里線・いすみ鉄道・小湊鉄道だけです。)気動車はあまり長い編成ができなかったようで、朝夕のラッシュ時は佐倉機関区のディーゼル機関車が10両ほどの客車を引っ張って走っていました。気動車や客車列車はスピードが遅く、今の倍くらい時間がかかりました。佐倉駅では駅弁が売っていましたが、ゆっくり食べても千葉駅までに食べ終わるくらいのんびりしていました。
ところが、高校入学の年の10月26日に総武本線と成田線の全線が電化され、すべてが電車となったのです。スピードアップされ、本数も多くなって、格段に便利になりました。そして、昭和53年(1978)には成田空港が開港し、その3年後には津田沼~千葉間の複々線化が完了し、成田と東京駅を直通で結ぶ快速が頻繁に走るようになりました。また、横須賀線と総武快速線との直通運転も開始され、品川・横浜方面へも乗り換えなしで行けるようになりました。
本校が分校から独立したのが昭和41年、全日制に移行したのが昭和46年、現在地に今の八角形の校舎を建てて移転したのが昭和49年、普通科単独校となったのが昭和54年という歩みをみるとき、四街道高校の発展と隆盛は、総武本線の近代化や利便性向上と密接に関係しているように思います。軍郷であった四街道が交通便利な住宅地となり、それと軌を一にして地域の期待を集め、四街道市をはじめとする地元の皆様の絶大な支援を受けて、本校は存在感を高めていったのです。
四街道という地の利を生かし、さらに地域に貢献するとともに地域と連携した学校をつくっていくことが本校に求められているとを切に感じています。
ちなみに四街道駅は、総武本線が私鉄の総武鉄道として開通した明治27年(1894)、つまり125年前に「四ツ街道駅」として開通しています。個人的には0番線という不思議なホームがあるのが気になっています。
校長室だより【1月】「成人について」
「成人について」
平成31年1月31日 校長 外山 信司
四街道市の「新成人のつどい(成人式)」が、去る1月13日(日)に開催されました。招待いただいたので、四街道高校卒業生への祝福の気持ちを表すため、参列しました。酒を飲んだり、騒いで式を妨害したりして「荒れる成人式」と言われる所もありましたが、四街道では平穏に式典が行われ、その後にはお笑いグループによるアトラクションや中学校区ごとの懇談会もありました。テレビには他県の様子として、今年の干支のイノシシを頭に乗せた奇抜な髪型やド派手な服装をした若者たちが映っていましたが、四街道では男子はスーツ、女子は振袖がほとんでした(一部に羽織・袴の男子もいましたが)。
現在の日本では、20歳になると全員が成人となります。しかし、成人年齢の引き下げが議論され、既に18歳選挙権が実現しています。昨年には、成人年齢を18歳に引き下げる改正民法が国会で成立し、2022年4月1日から施行されます。そうなれば、高校3年生で成人を迎えることになります。
一方で、飲酒や喫煙などの年齢制限は20歳のままです。また、18歳で成人となれば、課題を抱えた青少年がいきなり大人として扱われることになり、保護という観点からは問題が大きいという議論もあります。
なお、18歳で成人式となれば、高校の制服で参加することができ、スーツや振袖を着る必要もなくなります。個人的には制服がよいと思いますが、晴れ着を着たいという女子(着せたいという親御さん)もいることでしょう。和服業界にとっては大ピンチです。もっとも成人式は法律で決められたものではなく、各地方自治体が開催しているので、18歳のところや20歳のところがあってもよいのかもしれません。
現代では、成人年齢は法律で定められていますが、前近代ではそうではなく、様々な儀式や風習を行うことによって成人が認められていました。これらを「通過儀礼(イニシエーション)」と言います。
例えば、スリリングな「バンジージャンプ」は、もともと南太平洋の島国バヌアツ共和国のペンテコスト島の成人儀礼「ナゴール(ランドダイビング)」が起源です。高さ数十メートルのやぐらから、足首にツタなどの蔓を結び付けて飛び降り、その恐怖に打ち勝った若者だけが、成人として認められるのです。
日本でも、貝塚などから発掘された縄文人の骨をみると、大人は上・下の門歯や下の犬歯を抜いていたことがわかります。虫歯にもなっていない健康な歯を、もちろん麻酔もなしに抜くのですから、とても痛かったはずです。その激しい痛みに耐え抜くことができて大人として認められる訳です。
ですから、縄文時代であれば、門歯や犬歯がない人は成年、まだある人は未成年と、見た瞬間に大人と子供の区別がつきます。江戸時代まで、大人と子供は髪型や服装がはっきりと区別されていました。元服のことを加冠というように、中世以前では男子は冠や烏帽子をかぶりました。江戸時代には、男子は髷を結い、女子は子供の時はおかっぱ頭でしたが、大人になると髪を伸ばし、日本髪を結ってお歯黒をつけました。
また、成人すると名前も変えました。子供の時は童名(どうみょう)・幼名(ようみょう)でしたが、元服すると実名(じつみょう)という大人の名前になります。牛若丸➡義経、竹千代➡家光といった具合です。
このように、昔はきちんと大人と子供が区別されていましたが、今はその境界線はあいまいです。髪型・服装や名前といった「かたち」はともかく、精神面で大人と子供の区別ができていなければ困ります。心が大人になっていなければ、どんなに体格がよくてもまだ子供です。本校の校訓の一つは「自律」ですが、自分で自分を律することができるのが大人です。
あと1か月余で本校を巣立っていく3年生たちには、真の意味で大人となって羽ばたいてほしいと願っています。
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