四高日誌

2015年1月の記事一覧

平成27年のスタート

 平成27年1月7日(水)

 新年がはじまり、7日が過ぎようとしています。
 学校では、冬休みも終わって、今日は始業式。

 寒い体育館での式でしたが、いつものように生徒諸君にメッセージを伝えました。
 テーマは、「立派な人間」ということについて・・・・・というちょっと大きな話ですが。

 以下はその内容です。

 私たちは、皆、個性を持っています。ものの見方や考え方もそれぞれ違います。
 だから、一口に「立派な人間」といっても、答えは一つではないでしょう。みんなバラバラでも不思議はない。

 でも、「多くの人々の感動を呼ぶドラマ」などという言葉があるように、同じものを見て感動するという共通の接点のようなものもあります。
  スポーツなどはよい例ですが、勝負という厳しさの中で、努力の成果が表れた時(これは勝つことだけではないですが・・・・・)、それを見る多くの者が感動し、これを褒め称えます。
 また、歴史上の人物の生き方が、広く万人の尊敬を集めたりします。
 あるいは、偉大な芸術家の作品が、長い年月、多くの人々によって愛され続け、その作者を偉大だと評価するのも、一つの例だと思います。
 
  私たちは、自分の中で、なんとなく(もやもやと・漠然と)「立派な人間、立派な生き方」と思っているものがあって、ある時、「これだ! これこそ立派な人だ、立派な生き方だ」と思って感動する・・・・・そうやって、自分の中の「立派な人間像」が出来上がっていく。
 「私も、こういう生き方をしたい。」と思う・・・・・これは、決して、人から認められたいからとかではなくて、自分が感動した生き方、そういう生き方を見習いたいなどと思うんですね。

 さらに、それが、より多くの人によって納得され、称賛されるというのであれば、これが、広い意味での「立派な人間、立派な生き方」ということではないかと思います。

  だから、私たちは、世の中をよく見て、あるいは読書を積み重ねて、積極的に「感動の機会」を探し、たくさん感動して、「これぞ立派な生き方」と思える、そういう人たちを手本として学んで、自分なりの「立派な生き方」を確立しなければならないのだと思います。

 
 「立派な人間」というのは、一つの答えがあるわけではなく、多くの感動を体験して日々成長しようとする姿勢そのものなのだと、私は思うのですが、皆さんはどう考えるでしょうか。
 
 どうか皆さん、自分の「立派な人間」を目指してください。