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2019/12/25

2学期を終えて(校長室から)

| by ebihara-y

一昨日、2学期が終わりました。今学期は、わずかでありますが、大学や保育所、公民館、駅前商店会などとの交流の中で、生徒を社会に育ててもらう実践ができました。保護者・地域をはじめ多くの皆様に、本校の教育活動を応援していただきありがとうございました。

これまでの学校教育は、社会から離れた場所に、青少年を囲い込み、教員を媒介として社会に役立つ人間を育てていく機能を担ってきました。しかしながら、高校進学率が90%を超えて50年ほどが経つ社会の変化から、正解を導く力だけでなく、自分だけの最適解を多様な人々と協働して求めていく力の育成が求められつつあります。

こうした生徒を社会の中に置き、社会に育ててもらう実践を、令和4年度から始まる新しい教育課程の中でも実現していけるよう現在検討しているところです。

 

以下、終業式の式辞を紹介します。

おはようございます。今日は2学期の終わり、振り返りの日です。皆さんが期末テストをしている最中、私もテストをしました。私の手元に写真台帳があるのですが、名前の部分を隠して、写真だけで一人一人の名前が言えるが確認しました。538人中346人、100点満点で64点でした。ただ、実際今皆さんの顔を壇上からみていると、半分以下だと感じます。3学期も100点を目指して頑張ります。

 

今日は、久しぶりに昔話をします。「クマとキツネ」という、神様と人間が今よりもっと近かった時代の話です。

旅人が森の中で道に迷い、きょろきょろしながらさまよっていました。すると、ケガをしたのかキツネが、飢えて死にそうになっているのを見つけました。そこにクマが通りかかりました。クマはキツネを見つけると、自分のとった獲物を少し落として去っていきました。

旅人は、自分も腹がすいて困っていたので、このクマのように、自分も神様が助けてくれると思い、その場に寝ころんで神様を待ちました。次の日も、次の日もクマは、キツネに獲物の一部を落として去っていきました。でも旅人には何もありませんでした。旅人は、神様を恨みました。
旅人は、怒りながら、迷いながら森を抜け、街に出ることができました。街の広場に、おなかをすかしているみなしごが、横たわっていました。でも、だれもその子に食べ物を分け与えず、無視して通り過ぎて行きました。旅人は、神様に向かって叫びました。「ひどいではありませんか。あなたはこの哀れな子どもに何もしてあげないのですか。」

すると、「私は、何かをしたのだよ」と神様の声が聞こえてきました。「私は、あなたを人間として創った。だが、私はあなたに失望している。あなたはあのクマを見習うこともできたのに、キツネであり続けようとしている。」

  

というお話です。この話から、やさしいとは、自分にやさしいのではなく、人にやさしいという意味であるという教訓が導き出せると思います。でも、クマになるのは大変です。自分で獲物を捕まえられなければいけない。そして、誰かに獲物を差し出す余裕も持っている。皆さんには、稼ぐ力と余裕を学校で身につけてほしいと思います。

また、皆さんの新年の初参りでは、神様や仏様へのお願いだけでなく、「私はこうなりたい」という志を供えてきてほしい。今年一年、成長を実感できた人。来年に未来を懸ける人もいると思う。ウサギと亀では、亀が評価されます。やりぬく力は才能より評価されるのです。

1月7日、「志」を胸に秘めた皆さんと元気にお会いできることを楽しみにしています。以上、2学期終業式の式辞とします。

 

来年も、生徒一人一人が社会の中で生きていく希望(何とかなるんじゃないかという自信)が持てるような教育活動を実践してまいります。新年も佐倉南をよろしくお願いいたします。

 


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