大多喜高校の活動の様子

大多喜高校の活動の様子

松戸節三杯 表彰

陸上競技部顧問の森田先生が松戸節三杯を受賞し、校長先生より賞状の授与がありました。

松戸節三杯は、千葉県高校体育連盟が、長年にわたり県内スポーツの発展と生徒の指導・育成に尽力した指導者に贈る賞です。森田先生は陸上競技部の顧問として、長年陸上競技の発展に大いに貢献なさいました。

森田先生、おめでとうございます!

    

卒業式② ~式のようす~

 昨日3月5日、天候にも恵まれた爽やかな晴れの日に、第78回卒業式を執り行いました。在校生は受付係や駐車場係などしっかりと役割を果たしてくれました。卒業証書授与ではしっかりと呼名に答え、校長先生からクラスの代表へ卒業証書が授与されました。各中学校からは心温まる祝電を頂戴しました。ありがとうございました。

今年度は送別の歌で「蛍の光」を、卒業の歌でRADWIMPSの「正解」を歌いました。保護者や後輩の顔を見て歌いたいとの卒業生の提案で、当日は対面で歌ってくれました。

後援会会長、PTA会長、保護者代表者様からも、過去を経てこれからの未来へ向けてのお言葉をいただきました。そして大多喜支部の皆様、今年度もたくさんのお花をありがとうございました。立派で感動的な卒業式となりました。

式の様子

          

      

      

         

   

     

 

ホームルームの様子

   

  

  

  

卒業式①~校長式辞~

令和七年度 第七十八回卒業式 校長式辞

 

梅の便りが聞かれ 旅立ちの春を迎えた今日の良き日に ご多用中にもかかわらず 後援会 会長 平林 昇様をはじめ ご来賓の皆様方 並びに保護者の皆様のご臨席を賜り ここに令和七年度第七十八回卒業証書授与式を挙行できますことに心より感謝申し上げます。

保護者の皆さまにおかれましては 立派に成長したお子様が 新たな旅立ちを迎える今日さまざまな思い出が駆け巡り「感慨無量の思い」であると拝察いたします。

担任団をはじめ 教職員一同お子様のご卒業を心からお喜び申し上げますとともに この間本校の教育にご理解ご協力をいただきましたことに深く感謝を申し上げます。

ただいま卒業証書を授与しました百二十八名の卒業生の皆さん ご卒業おめでとうございます。この大多喜高校で過ごした思い出はかけがえのない人生の宝であったと思います。卒業式に臨み皆さんの脳裏にはどのような思い出が過ぎているでしょうか。仲間との友情を深め合った明善祭や体育祭 修学旅行などの学校行事のことでしょうか。気を抜けない日々の授業での課題でしょうか。暑い夏は汗を拭きながら 寒い冬は かじかむ手をさすりながら頑張った部活動のことでしょうか。いずれも皆さんはお互いに「切磋琢磨」しながら 「文武両道」を極めた三年間であったはずです。この充足感は大多喜高校で自らを高めた自己成長の証でありこれからの人生の良き糧となるはずです。

さて 卒業してゆく皆さんに これから対峙するであろう人生を よりよく生きていく上での助言を二点申し上げます。話しを聞きながら一緒に考えてください。

一つ目は人生を送る上で人の持つ「人間性や人柄」について今まで以上に意識を傾けてみると言うことです。言い換えれば「人柄を大切にする考え方」に立って日常を送るとでも言いましょうか。AIいわゆる人口知能の社会実装の進展で「自分は何の役に立つのか」と自己の存在に確信を持てず不安を抱え込む人が増えつつあるとの記事がありました。中高生の八割がAIを利用し利用率は二年前の二倍とのこと。皆さんもAIを使っていると思います。AIの深化が自分の能力を超え自己肯定感が揺らいでいるということです。今やAIは必要不可欠なツールです。例えば 皆さんがAIで課題レポートを作成したとします。完成したレポートの体裁は整っていても自分の思考力や論理的展開力 考え抜く忍耐力がついている訳ではありません。そのことに気づき 当初は自らの文章作成に不安になっても 周囲の行動が同じなので気にしません。AIは永遠に疲れないし 嫌がらないし 時間を問わず話し相手になってくれる。こちらの都合でどうにでもなる。

一方 対象が人間となると 人は疲れもするし 機嫌が悪い時もあり 様々な感情を抑えて それぞれの「人柄」で付き合ってくれる。限りある人生の時間を自分に分けてくれます。

生身の人間とは 優しくて ありがたくて かけがいのない存在です。AIは性格を設定し 容易に変更もできますが 人は違います。「人柄」はその人 唯一無二のものです。「人柄」を大切にする考え方に立つことで 経済的価値に代替されない 人としての価値が見えてくると言えます。人をだましたり 裏切ったりして金銭的に利益を得る利己主義的な風潮が強まる中その行為によって 自分の「人柄」をないがしろにすることは 自分にとっても不利益になるでしょう。金銭や知名度ばかり追うのではなく ごく基本的な道徳に立ち返れば 「人柄」も利益なのです。人としてまっとうであることへの意識が今や希薄になってきています。

「人柄を大切にする考え方」を意識し周囲との信頼関係を深めながら自分自身の幸福度を高めてください。

二つ目は「人生を彩るために 自分の人生の物語を描いて欲しい」ということです。「人生の物語を描く」とは 日常生活全ての決断を自分で行い自律した状態で幸福を追求する人を意味します。

アリサ リウというアメリカ女子フィギュアスケート選手がいます。現在 二十歳ですが十三歳で全米女王に輝き トリプルアクセルと四回転技で世界を席巻し 十六歳で世界選手権銅メダルを獲得した直後 突如競技を引退します。彼女は大学で心理学を専攻し「自己決定理論」を学び 二年の空白を経て再び競技に復帰します。彼女が「自己決定理論」で学んだことは“人間が最も高いパフォーマンスを発揮し 幸福を感じるのは 他人に指示された時ではなく自分の意思で決定した時である” という気づきでした。大学での学びを通して彼女は自分の内面を客観視する「メタ認知能力」を磨き上げたのです。昨年度 終業式の際 大谷翔平選手の持つ「メタ認知能力」の高さについても触れましたが「メタ認知能力」とは 自分の思考や行動を客観的に把握・評価し 統制する自らの認知活動を俯瞰する力です。

その後 アリサ リウ選手は氷の上での「アスリート」の域を超え 一人の「アーティスト」として主体的に自分の人生を彩っていきます。競技中のヘアスタイルも衣装も選曲も全て自分の判断で決め コーチたちに一切口出しさせないスタイルを取ります。“私のヘアスタイルが気に入らないからと言って 点数を低くつけたり 違う扱いをしたりするならそれは向こうの問題”として自らの「自由」や「喜び」を最優先する 競技人生を追求したのです。結果 ミラノ・コルティナダンぺッツォ冬季オリンピックで金メダルを獲得したことは皆さんも記憶に新しいでしょう。今やSNS上では自分流の美学を象徴する「Alysa Liu Core」という言葉で賛同し 彼女の信奉者が急増しているそうです。“才能は固定されたものではなく 環境と対話しながら開花させるもの”と語っています。皆さんがこの先 何かの重圧に押し潰されそうになった時には アリサ リウ選手のように 一度立ち止まり 自分の物語を書き直してみることをお勧めします。

最初に話した「人柄を大切にする考え方」そして 「人生を彩るために 自分の人生の物語を描く」という二つを餞(はなむけ)に贈ります。

最後にもう一つお伝えしたいことがあります。先日三月一日 日曜日に「東京マラソン」が開催されました。世界各地から三万九千人が都内を駆け巡りました。幸運なことに私もその一枠(ひとわく)を得ました。スタートからゴールまでの四十二.一九五キロ 沿道に 絶え間なく続く「頑張れ」の声援は 人はこんなにも無条件に他人を応援してくれるのか と心が震えました。海外からの参加者も半数近く  様々な言語が飛び交う中での「東京マラソン」は 世界情勢が不安定になる中 平穏に競技が行える感謝と同時に 言わずもがな 一歩 また一歩と踏み出し続けなければ 永遠にゴールに到達できない という現実でした。大した練習もせず 行けるところまで行く覚悟の参加でしたが 私にとって 走ることに深い意味などありません。自らデザインした自分の物語をなぞっただけです。とは言え 距離を重ねるうちに齢(よわい)還暦を過ぎた体には 引き攣(つ)る足は鉛のように重く 一歩ごとに堪えがたい激痛が走ります。その悶絶する醜態をよそに 応援に駆けつけ懸命に励ましてくれた家族には父の無謀と言える行為に何かを感じてくれたに違いありません。

これも私流の自己表現の一部です。私たちはAIではなく 人だという大前提の下 自分の人生を肯定し充実感を得て 失敗しても立ち直ることができるのだと言う「人として大切にすべきことの優先順位」を私の流儀で家族に示せたのではないかと思うのです。

最後に 卒業生の皆さん これからの人生には 嬉しい時も悲しい時も 迷う時もあるでしょう。その時 節目ごとに伝えてきた「自分を大切にする」ということを忘れないでください。他者を尊重し 自分らしく輝くこと 過去は変えられなくても 未来は皆さんの手で変えられます。社会を変え 歴史を動かすのは 人と人とのつながりです。

歴史ある大多喜高校で学んだことを誇りに思い 失敗を恐れず 自分の人生を彩りながら 幸福を追求し 実りある人生を邁進してください。

結びにあたり 保護者の皆様に 改めて お祝いを 申し上げますとともに ここにご出席の皆様の ご健康とご多幸を 心から祈念いたしまして 式辞といたします。

 

   令和八年三月五日

千葉県立大多喜高等学校長