令和6年度第19回卒業式式辞(令和7年3月6日)

 三寒四温を繰り返しつつ、日ごとに寒さが緩み、春の訪れも間近に感じられる今日の佳き日に、御来賓の皆様の御臨席を賜り、ここに第十九回卒業式を盛大に挙行できますことは、卒業生・在校生はもとより、私たち教職員にとりましても、大きな喜びであります。御臨席の皆様には、厚く御礼申し上げます。 

 また、御列席いただきました保護者の皆様、御子様の御卒業を心からお祝い申し上げます。十代後半という思春期、人生で最も心揺れ動く高校三年間を、暖かく見守り、励 まし続けてこられた保護者の皆様に、敬意を表しますとともに、これまでの、本校の教   育活動に御協力を賜りましたこと、改めて御礼申し上げます。

 

 ただ今、卒業証書を手にし、この野田中央高校を巣立っていく卒業生のみなさん、卒業おめでとう。

 みなさんが、本校の門をくぐった三年前は、まだ世の中にいわゆるコロナ禍の余韻が残っていました。最初の一年間は校内でのマスク着用が義務付けられ、友達や先生の素顔を見ることができないまま高校生活を送ることになりました。二年生になった五月にコロナの感染症分類が引き下げられたことによってコロナ禍が一応の終息を見るまで三年間、みなさんにとっては中学二年から高校一年にかけての時間が、コロナ禍を避けては振り返ることができないものとなったことを大変痛ましく思います。

 しかしながら、コロナ禍は私たちが多くのことを学ぶ機会にもなりました。今ではコロナ禍も過去のものとはなりましたが、みなさんが入学した頃を今一度振り返り、私が思いを深めたことをお話して、餞の言葉としたいと思います。

 

 私がコロナ禍を通じて改めて感じたのは、社会に蔓延する同調圧力の強さです。「同調圧力」とは「周囲と同じであることを強要する力」のことです。

 コロナ禍では「自粛警察」という言葉が流行語になりました。国や自治体が求めた行動自粛への異論を認めず、営業を続ける飲食店やマスクをしない人などに対して、理由の如何を問わず、対面やインターネット上で過剰な攻撃をする人たちを、一括して呼んだ言葉が「自粛警察」でした。

 マスクをしない人の中には、皮膚のアレルギーなどの理由で、マスクをしたくてもできない人もいました。営業を続ける飲食店の中には、生活を立てるためにやむを得ず店を開けなければならない人もいました。そういう個々の事情を一切考えることなく、攻撃を行った人たちは、周囲の雰囲気に流され、自分で深く考えることをしない「思考停止」に陥っていたのだと思います。

 

 歴史を遡ると今年終戦八十年を迎えた太平洋戦争では、この「同調圧力」と「思考停止」が、我が国全体を破滅に追い込む結果を招いた背景にありました。

 戦争に反対する人たちを「非国民」「国賊」と攻撃し、敗色が濃厚になっても「一億玉砕」の掛け声の下、誰もが戦局を冷静に考えることを止めて、ひたすら戦い続けた結果が日本全国に広がる焼野原だったのです。

 結果の重大さに違いはありますが、「自粛警察」と国を滅ぼした八十年前の戦争は、「同調圧力」と「思考停止」という同じ根元でつながっていると思います。

 

 このように、何かのきっかけで「同調圧力」が強く働きやすい日本の社会が再び過った方向に進まないようにするために、みなさんに大切にしてほしいのは、自分の頭で考えるということです。社会を過った方向に導くのは、「同調圧力」に流されて、自分の頭で考えることを止める「思考停止」です。みんなが自分の頭で考えることを止めたとき、社会は「同調圧力」の奔流に押し流されて、その流れが例え過った方向に向かっていても、もはや歯止めは利かなくなります。

 みなさんが高校生活を送った三年間と時を同じくして、ウクライナではずっとロシアとの戦争が続いていました。また、イスラエルでの戦火も完全に止んだわけではありません。国家間に限らず、社会全体の様々な場所での亀裂が際立つ時代です。

 私たち一人一人が冷静に自分の頭で考えること、そして、自分は違うと判断したら声を上げること、それが私たちの社会を過った方向に向かわせないために大事なことなのです。

 

 それができるようになるためには、まず自分の考えと判断に自信を持つこと、次に声を上げる勇気を持つことが必要です。勇気については、本日配付された「広報野田中央」の誌上で述べていますので、ここでは自信についてだけお話しします。

 自信を持てるようにするには、まず可能な限り多くの知識を自分の頭に蓄えることが必要です。スマートフォンを覗き込むばかりではなく、多くの本を読み、多くの芸術に触れ、多くの場所を訪れ、多くの人と出会い、話をして見聞を広め、世の中には自分とは違う様々な人が暮らし、様々な考え方があるということを知っておくことです。それらの幅広い知見を材料にして考えることで、ひとりよがりのものではない、道理に適った判断できるようになります。それが最終的な自信につながるのです。そして、その自信を持つ人を、私は大人と呼べるのだと思っています。

 みなさんは、十八歳で法律的には大人の仲間入りをしましたが、真の大人と呼べるようになるまでには、まだまだ遠い道のりがあります。

 四月から身を置くことになる新たな場所でも、今、私が述べた広い意味での勉強を続け、将来は自分の頭で考え判断できる大人として、豊かな社会の担い手に成長してくれることを願っています。

 最後にみなさんの前途が明るい光に満ちあふれた幸多きものとなることを祈願し、式辞といたします。