令和3年9月7日、本校16代校長として7年間にわたり卓越した指導力を発揮された福原 修 先生がご逝去されました(享年99歳)。
私(校長)の高校時代の校長先生であり、式典などでの力強い訓話と生徒への優しいまなざしは今も記憶に残っています。
《安房高百年誌から福原校長先生の7年間を振り返ります》
昭和51年
福原校長着任
福原校長は、安房郡勝山町(現鋸南町)下佐久間出身で、本校(旧制安房中学)を昭和15年に卒業、四高を経て東大経済学部に進んだ。太平洋戦争に学徒動員で出征、敗戦後のシベリア抑留、復員・復学の激動期を経て、大学卒業後県立木更津一高(現木更津高校)で教師生活の第一歩を踏み出し、昭和39年に教頭として君津商業高校に栄転した。その後、教頭として木更津高、校長として天羽高・木更津高に勤務した後、新校舎完成の大任を負うて母校に着任した。
木更津高校時代は野球部監督として高校野球に情熱を注ぎ、昭和35年に県高野連理事長に就任、本校着任時は副会長であった(のちに県高野連会長・関東高野連会長を歴任)。
◎野球部 夏の県大会で準優勝(大会審判委員長であった福原先生の言葉)
「準優勝の安房は、(銚子商との)決勝において力尽き矢折れた感じで大敗したが、打線の主軸三番大川を欠き、また主将の宇山も病後という傷だらけの陣容で善戦した。好感の持てるチームカラーで多くの人々の共感を呼び、大会に清新の気を漲らせた功績は大きい」
昭和52年
◎新校舎建築始まる(いまの校舎はこの時に建設が始まったものです)
昭和53年
◎修学旅行広島へ(私はこの時の生徒でした)
昭和54年
◎共通一次テスト始まる(本校受験者 254人 最高点905点 平均点655点)
◎第1回平砂浦マラソン(風が強かったなあ)
昭和55年
◎剣道部 女子インターハイ準優勝(この年は、柔道部と水泳(水球)部が県総体優勝しています)
◎新校舎完成(旧校舎の一部を記念館《現在の無弦館》として残されたのも福原先生の思いと聞いています)
昭和56年
◎弓道部 男子団体インターハイ3位(この年は文化部において吹奏楽部・音楽部が県コンクールで上位入賞しています)
昭和57年
◎安房高校創立80周年記念式典(新体育館(現在の旧体育館)も落成し、記念の招待試合が行われました)
昭和58年
◎耐寒マラソン男女同距離に(男女とも11キロになりました…参加女子生徒306名全員完走と記録にあります)
◎福原校長先生ご退任
福原先生は、ご退任後も安房高のこと高校野球のことを常に気にかけてくださり、私たちを強く優しく励まし続けてくださいました。
【2008年安房高野球部が甲子園初出場をした際の福原先生の言葉】
「・・・大会の初日、開会式の日、私は甲子園球場のネット裏席で選手の入場を待った。選手の行進が始まると我らの野球部諸君が、胸に『安房』のマークをつけ、大きく腕を振り、脚を高く上げ、全国の強豪にまじって堂々と行進してきたではないか。私が60余年抱いてきた夢が遂に果たされたのだ。思わず私の眼から涙が落ちた。・・・」
※蛇足となってしまいますが、平成27年度・28年度に職員向けに発行していた『教職員だより』で福原先生のことを紹介させていただいた号を添付します。
職員室だより vol.20.pdf 職員室だより vol.36.pdf 「しゅう先生、ほんとうにありがとうございました」
心よりご冥福をお祈り申し上げます(合掌)