千葉県立姉崎高等学校

 

平成29年度の取り組み

平成29年度「一校1キラッ!」→(1)H29 1キラ.pdf

 

アクセス


●所在地
住所:千葉県市原市姉崎2632
TEL:0436-62-0601 
FAX:0436-61-7679
●アクセス 
鉄道:JR内房線姉ヶ崎駅バス10分
バス:小湊バス『帝京大医療センター前』行 『姉崎高校前』下車徒歩1分
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校長室だより

NEWS
12
2017/11/08

校長室だより

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〇11月8日(水)

 沖縄修学旅行

 10月29日から11月1日までの3泊4日の日程で、本校2学年(4クラス)の修学旅行団長として沖縄本島に行ってまいりました。(旅行の様子についてはホームページのNewsページでご覧ください。)

 本校の沖縄修学旅行は、例年1月に実施していましたが、今年度は海水に浸かるマリン体験を取り入れることを考慮し、時期を早めました。

 出発に際しては、台風22号の動向が心配されましたが、台風が房総半島に接近する前に定刻に出発でき、台風が通り過ぎた沖縄本島にこれも定刻で到着することができました。1日前の出発でしたら、沖縄便が全便欠航でしたから、幸運だったとしか言いようがありません。

 1日目(29日)、2日目(30日)は強風でしたが、日程には支障なく、3日目のマリン体験の日には海は穏やかになっていました。全日程天候にも恵まれ、暑いくらいでした。1日目、2日目は雨がぱらつくことはありましたが、傘をさすほどではありませんでした。4日目もほぼ時間通りに進行し、帰りの飛行機の出発が遅れましたが、全員無事姉ヶ崎駅に帰ってくることができました。

 生徒たちは、私の修学旅行引率の経験から見て、非常に落ち着いて節度ある行動を取っていたと思います。飛行機内、バス内、見学施設内等々での態度は立派だったと思います。修学旅行の場ですので、多少はしゃぐことはありましたが、常識の範囲内と私は受け取りました。民泊家庭でも交流を深めたようで、民泊のお父さん、お母さんと別れを惜しみ、涙している生徒も多々いました。その様子は、バスガイドさんももらい泣きするくらいの、気持ちのこもったものでした。

 平和学習での「ひめゆりの塔」、「平和の礎」、ガマ体験においても、事前学習がよく身についていることもあって、沖縄戦史を踏まえた鎮魂の態度と理解を示していたと思います。ホテルでは修学旅行生なりのふるまいをしつつも、食事時間、ミーティング時間を守り、点呼・就寝時間には驚くほど静かになりました。男子生徒と同じ階で、部屋も隣だったのですが、ぐっすり休ませてもらいました。自由時間には、大きな声があったり、廊下をバタバタ走ったり等々のことはあったり、「校長先生の部屋を見せてください」なんてなこともありましたが、オン・オフの切り替えができていました。感心しました。

 今生徒たちは、事後学習として修学旅行を振り返り、報告書をまとめているところです。2学年の廊下には、担当の先生の御苦労もあり、生徒・先生が記録した何千枚という旅の写真の一部が張り出されています。楽しかった様子、戦争と向き合う真摯な様子などがうかがえます。

 私は沖縄にはもう何度も行っていますが、何度訪れても、やはり戦跡は重い。沖縄の海の美しさとのコントラストが、かつて起こったことの重み、凄惨さを一層突きつけてきます。

 辛いことですが、観光もしつつ、その都度戦跡には足を運ぶべきだと、改めて思いました。

 旅のしおりに載せた巻頭言を以下に掲載します。

 

沖縄と向き合う修学旅行

平成29年度修学旅行 団長

校 長  小野  央

 

 今回は沖縄本島への旅ですが、離島も含めて、沖縄という地は、幾通りもの切り口を持っています。自然、歴史、人、芸術、食、政治等々、どれを取っても複雑で味わい深く、重い課題を、見る者、学ぶ者につきつけると同時に、離れがたい思いを抱かせもします。「テンペスト」、「ぱいかじ南海作戦」、「メタボラ」等、小説の舞台にも度々取り上げられ、舞台設定に重要な役割を果たす、個性の強い地域でもあります。私は数回沖縄を訪れていますが、その度に新たな思いをもって旅を終えます。

 皆さんは、事前学習で多分野に渡って沖縄を学んできました。机上の沖縄とリアルな沖縄のギャップに驚いたり感動したりすることでしょう。民泊で沖縄の方々の人柄に触れ、体験では、身体で沖縄の自然や文化を感じることができるでしょう。

また、沖縄は、太平洋戦争において、日本で唯一地上戦があったところです。戦争、戦後の基地問題は避けて通れません。「ひめゆりの塔」、「摩文仁の丘」、シムクガマでは事の凄惨さに気持ちが重くなったり、やりきれなくなったりするかもしれません。「平和の礎」に刻まれた名前、亡くなったひめゆり学徒と教師の写真。私は訪れる度に、その数に圧倒され言葉を失います。自然が美しいだけにより迫るものがあります。

さて、以上のような体験や学習の一方で、仲間との親睦を図り、絆を深めるのも修学旅行の良いところです。集団行動や社会規範を意識し、姉高生としての品格を持ちながら、楽しい時間を過ごせるようにしましょう。一生の思い出となることでしょう。

修学旅行の後に、また沖縄を旅してみたい、今度は離島に行ってみよう、あるいは、沖縄の基地問題を入口に、日本の防衛について勉強してみよう、国って何だろう等々、自分で様々な切り口を設定することができたら、この修学旅行は成功したということになります。次のステップへの出発点にもなります。事後学習も含めて修学旅行です。この機会に沖縄と向き合い、色々取り込んで自分のものにしてください。皆さんの真剣さ、積極的な姿勢に期待しています。


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2017/10/10

校長室だより

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〇10月10日(火)

 かつては、10月10日は体育の日でした。いわゆるハッピーマンデー制度により土・日・月の3連休を作るために「体育の日」のイメージが変わってしまいましたが、私たちの世代(1960年代生まれ)にとっては、1964年の東京オリンピックの開会式の日に因んだ、10月10日は「体育の日」という感覚がまだ残っています。東京オリンピックの記憶がかすかに残っている世代でもあります。

 さて、姉崎高校でもこの時期、体育祭がありました。「姉高祭体育の部」です。(「姉高祭文化の部」一般公開は11月18日(土)です)10月3日、前夜からの雨で開催が危ぶまれましたが、霧雨の中、種目を一部減らして実施することになりました。昼前からは日差しも出てきて、暑いくらいでした。

 開会式から競技、応援合戦と、適度の緊張感と和気あいあいとしたクラス、色の雰囲気の中、大きなケガもなく、無事体育祭を終えることができました。

 高校の体育祭は、中学校のように競技練習や応援練習に長い時間を割くこともなく、平日に行われますが、それでも色(4色)ごとの応援練習の時間はある程度確保し、当日の審査対象となる応援合戦を行いました。練習の場面でも取り組みに応じない生徒が出ることもなく、団長や上級生が明るい雰囲気を保ちながら指導する姿にはほほえましいものがありました。競技中の応援も組織的に応援するなど、色の団結を図ろうとしている工夫が見られました。

 閉会式の最後には、サプライズで、体育祭の運営責任者をしてくださったY先生(今年度で定年退職なさいます)に対する慰労と感謝の言葉を各色の団長が述べるなど、感動的な場面もありました。素直に育ったいい子たちだなと感じました。

 解団式では各色で、団長や中心になった生徒たちからの挨拶と労いの言葉があり、いい時間を生徒たちは共有しました。高校の体育祭では解団式を行わないところが多いと思います。

 生徒たちが引き上げた後は、グランドには紙切れ一枚、ゴミ一つ落ちていませんでした。楽しかったというだけで終わらず、後始末もしっかりしていた体育祭でした。

 追

 本校は、高校としては保護者の観戦が多いと感じました。40名以上の方々に足を運んでいただきました。ほとんどの方が終日観戦なさいました。PTA活動が盛んで、保護者の方々には様々な活動で御支援をいただいているという下地があるからだとは思いますが、保護者の方々が気軽に学校にいらっしゃることのできる、お子様の様子を見に来られる雰囲気を持っている学校であることは大切なことなのだと再認識しました。これからもこのような学校のあり方を継続・維持していきたいものです。


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2017/09/15

校長室だより

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〇9月15日(金)
 就職出陣式
 9月14日(木)、6限にこれから就職試験に臨む生徒の「就職出陣式」がありました。式の冒頭校長からの激励の挨拶があり、今年度の「進路の手引き」に掲載した校長の「巻頭言」を引き合いにしながら、「試験や世の中に出るということは不安ではあるでしょうが、『不安は近づくと小さくなる』という言葉もあります。実際、皆さんは今回の試験のために面接練習等の準備をしてきて、不安な気持ちは当初と比べて小さくなっていませんか。」「これからプロになっていく可能性を見せてきてください。」という趣旨の話をしました。
 生徒の皆さんからは、これから試験に向かうぞという意気込みが感じられました。
 参考までに、以下に、今年度の「進路の手引き」の巻頭言を載せました。
 紀元前500年頃、中国は春秋時代の兵法書の一つに「孫子」があります。科学やテクノロジーが発達した現代でも、軍事はもちろん、ビジネス分野においても様々な影響力を持っている書物です。その中に、「彼を知り己を知れば百戦殆(あやう)からず。彼を知らずして己を知れば一勝一負(いっぷ)す。彼を知らず己を知らざれば戦う毎(ごと)に必ず殆し。」という有名な一説があります。

 現代語訳しますと、「敵味方両方の情勢を把握していれば、何度戦っても敗れることはない。敵情を知らないで味方のことだけを知っていたのでは勝ったり負けたりで勝負がつかない。敵のことも味方のことも把握していなければ必ず負ける。」というものです。

 進学希望先や就職希望先は敵というわけではありませんが、試験を突破して合格や内定を勝ち取るという意味では、戦う相手と見なしてそのための対策を講じなくてはなりません。また、孫子の中では自分も「知る」対象で、それが不十分だと戦に勝てないとも言っています。まさに進路を実現する上での肝要な点と一致します。自分のことを客観的に把握していないと、的確に相手(進路希望先)を定めることはできません。もしかしたら、相手よりも自分を理解することの方が難しいかもしれません。

 「進路の手引き」はデータや情報(説明・解説等)に基づき、進路希望先や自分を理解・把握するための入口になるものということができるでしょう。そこから深い調査を行い、自分に必要な準備(学力や常識を身につける。部活動に打ち込み、心身を鍛える。資格を取得する。等々)をしていかなければなりません。自分と進路希望先のマッチングをする手助けにもなります。

 進路実現には継続的な努力が必要です。一気にやるよりも、毎日こつこつと弛まぬ努力を続ける人が、最後には希望の実現を果たします。いつも手元に「進路の手引き」を置き、自分のやるべきことに軌道修正を加えて、より効果のあがる準備をするとともに、進路指導部から最新の情報を得たり、アドバイスを受けたりしながら、進路実現の精度を高めていってください。

 高校時代にどんな努力をしたかによってすべてが決まってしまうわけではありませんが、人生の基礎を築く時期であることは確かです。途中で変更をすることがあっても、しっかり努力して準備をした人は、変化に対応する力もつけています。

 努力する姉高生の、頼もしい姿を思い浮かべています。皆さんの頑張りに期待しています。




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2017/09/06

校長室だより

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〇9月6日(水)
 9月1日から2学期が始まり、生徒の様子もまずます落ち着いており、ほっとしているところです。始業式から1週間が経とうとしていますが、大過なく授業も滑り出しました。夏休み中も部活動・試合で、3年生は就職・進学に向けて多くの生徒が登校しており、学校を中心とした生活が継続したおかげで、気持ちが学校から離れる生徒が少なかったということもあって、落ち着いた状態が保てたのではないでしょうか。
 始業式の式辞で生徒向けに述べたことの概要を以下に掲載します。

平成29年9月1日(金)始業式 式辞(概要) 

 夏季休業期間中、皆さんはどんなことに打ち込んだでしょうか。部活動や教科の復習・予習をみっちりやったという人、旅行など、普段できないことをした人、あるいはのんびりボーっと過ごした人、様々だったことでしょう。3年生は、就職・進学の進路実現を目指して、準備や勉強に取り組み忙しかったことと思います。

*

 ある雑誌に、「ぼくのしょうらいのゆめ」(文春文庫)という文庫本の書評が載っていました。映画監督、音楽家、彫刻家、医師など各分野で成功した12名が、子供の頃に思い描いていた夢について回想するという本で、取り寄せて私も読んでみました。因みに、新刊本ではなく、10年ほど前の出版で、今は絶版で取り寄せはできないとのことでしたが、今は便利な世の中で、ネットを利用して古本で取り寄せることができました。

*

 その中に、舞踏家の田中泯の回想がありました。舞踏家と聞いてピンと来なければ、朝ドラ「まれ」で製塩職人役で出ていた人と言えばわかるでしょうか。その他にも、映画では「たそがれ清兵衛」「隠し剣鬼の爪」「地下鉄(メトロ)に乗って」「47RONIN」「八日目の蝉」「永遠の0」「るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編」などにも出演していました。

 最近では俳優として有名ですが、1960年代から活躍する舞踏家です。それもかなり過激で革命的な。基礎はしっかりしていて、クラッシックバレーからジャズダンスまで専門的に学び、独自の舞踊を生み出していった人です。終戦の年の生まれですので、今年72歳ですが、衰え知らずです。その劇中での存在感を含めて、個人的には、「すごい人だな」と思っています。

 書中で田中さんは、「僕は何かを目指してダンサーになったわけではなく、目的があって踊ろうとも思っていません。強いて言うならば『何かを目指すということすら忘れている自分』が一番好きなのかもしれません。」と語っています。

 これを読んで私は、「ああ。これだ」と感じ、納得するところがありました。私は一つの楽器の演奏に40年以上取り組んでいます。時間を要している割には、なかなかうまくなりませんが、それでも長くやっていると、やっている意義とか目的とか、何のため、誰のためなど、そんな理屈はどうでもよくなってくるときが来ます。ただ取り組んでいる状態になるというか、行為に没入するというか、無心というか、そういう状態です。「何かを目指すということすら忘れている自分」という表現がぴったりに感じるわけです。

 「好きな踊りを踊って一生を送りたかった。職業というものが、僕の中では到達目標ではなかった」とも言っています。

 田中さんも、最初は舞踊で食っていこうとか、こうできるように頑張ろうということがあったと思いますが、舞踊がどんどん純化されていったのではないでしょうか。生計は農業で立てているとも聞きます。

 このような状態になると人間強くなります。結果的に好きなものが職業になればそれに越したことはありませんが、職業とは違う別の世界を持っていると多少のことではへこたれなくなりますし、人間関係も、場合よっては想像できないくらい広がります。多様な価値観を理解でき、また、持つこともできます。

 皆さんには何でもいいので、そういう無心に、没入してのめり込むことのできるものを持ってほしいと思います。研究でもいいし、スポーツや武道のような体を使ったことでもいいし、何でもいいのです。もう持っているかもしれませんが、気づいていないかもしれません。また、自覚していても、極めようと努力し、時間をかけなければ、ただの趣味で終わるか、趣味まで行かないうちに興味を失ってやめてしまうかもしれません。ある程度の努力をしないと面白いとか好きになるというところまで達しないので、そこが大事なところです。

 ただ、3年生は今はそれどころではないかもしれません。同時進行ができる人は躊躇なく始めればよいですが、まずは目の前の課題をクリアし、人生の基礎固めをしなければなりません。就職・進学の目途がついたら違う世界への一歩を踏み出してみましょう。1・2年生は勉学・部活動の中に打ち込むものを見出してもよし、それ以外の道を探ってもよしです。人間はもともとマルチな存在です。「私は〇〇しかない」ということを言う人がいますが、そんなことはありません。複数のことを同時進行できるようにできているのです。その中の一つを特別なものにすればよいと思います。

*

 「何かを目指すということすら忘れて」あることに打ち込めた時には、それまでとは全然違う景色が見えるようになります。ゾーンに入った状態と言ってよいでしょう。思考もしないし、体は勝手に動くし、その時の記憶も曖昧です。心地よい感覚だけが残ります。ただ滅多にあるものではなく、私は2回くらいしか体験したことがありません。そこまでいかなくても、あることに没入できれば十分だと思います。最終的には何かこう突き抜けたいものです。

 では、2学期新たな気持ちで、取り組みましょう。


 

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2017/07/26

校長室だより

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〇7月26日(水)

1学期の終業式での式辞の概要について掲載しました。以下の原稿に基づいて生徒の皆さんに述べました。

前半の話は、雑誌「月刊高校教育」のコラム欄の記事を基にした話です。

夏休みを前に、皆さんに2つの話をします。まず、一つ目。

モハメド・オマル・アブディンという人がいます。(男性。1978年、スーダン生まれ。生まれつきの弱視で12歳の時に視力を失う。19歳の時、視覚障害者を支援する団体の招きで来日し、福井の盲学校で点字や鍼灸を学ぶ。非常な速さで漢字かな交じりの複雑な日本語を習得し、日本の財団から奨学金を受け、東京外国語大大学院の研究者となる。ブラインドサッカーの選手としても活躍。日本選手権で3回の優勝を経験。「わが盲想」という本を出版している。)彼は盲人、目が不自由な人です。目に障害を持ちながら、短期間で漢字と仮名を区別し、使いこなせるようになりました。

 *

そこまで彼を頑張らせたのは、来日直後の出来事によります。それは、歩行訓練の大槻先生に言われた一言でした。大槻先生がモハメドさんにかけた初対面の一言は、「モハメド君、靴の紐がほどけてますよ。」というものでした。

モハメドさんはこの一言に腹を立てます。目の見えない彼は、靴の紐を結べずぐちゃぐちゃに丸めていました。目が見えないんだからしょうがないでしょう、そこを言うのか、というわけです。大槻先生は、そんなことには頓着せず「今から寮に戻りましょう。そして、靴ひもの結び方を練習しましょう。」と言います。

この時、モハメドさんの気持ちは一変し、「おそらく、大槻先生は僕の抱える最大の苦しみをわかってくれたのだろう。」このように思います。

つまり、大槻先生は、靴ひもの状態を見て、目が不自由だということで、モハメドさんが自分をどこかで甘やかしてきたのを見抜くと同時に、障害を克服する方向を示したのです。訓練して、本人が困らなくなったら、障害ではなくなるということですね。

大槻先生は、「君は15年前にこの作業をできていないとだめだった。これが最後のチャンスだと思って真剣にやってください。」と言って、3日間で一人で靴ひもを結べるように指導したのでした。これをきっかけに、モハメドさんは目が見えないことを言い訳にせず、靴ひものみならず、日本語、そしてその表記までも身に着けていくことになります。

私たちもどこかで自分を甘やかしたり、言い訳の材料に飛びついていたりしていないでしょうか。できない、あるいはやってもどうせできないからやらない、とどこかで自分を甘やかしていませんか。逆にできないことの方が多いから、まずはやってみようと思ってはどうでしょうか。甘やかしたり、言い訳したりしないということに意義があります。頑張る原動力の大きな要素は、若さです。皆さんには、エネルギー、未来の時間など、物事をなす上での強固な土台があります。この夏、新しいことでも、今取り組んでいることでも、挑戦してみてはどうですか。そして始めたことは続けてください。よく口にされることばですが、「継続は力なり」は本当です。

私も、皆さんの夏季休業期間中は仕事量が減ります。夏季休暇という休みも取れます。それを利用して、勉強したり、本を読んだり、映画を観たり、楽器の練習時間を増やして新しい技術を習得したりと頑張ります。皆さんに負けていられません。

ところで、この話にはもう一つの側面も読み取ることができます。二つ目の話です。それは教える側と教えを受ける側の熱意が合致すると、素晴らしい結果をもたらすということです。姉崎高校での学習活動ではどうですか。

先生方の教える熱意はどうですか。どこに出しても恥ずかしくない、むしろ誇りたいほどの熱意があると私は思っています。では、皆さんの学ぶ熱意はどうですか。一人一人自分に問いただしてみてください。

教える側と教わる側の熱意が高いレベルで合致した時に、すばらしい学習効果が得られます。私が20代の頃、帰省した際、これを裏付ける有様を身近で見ました。それは、インコに昔話を教える私の母とそのインコの姿でした。

「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがおりました。おじいさんは山に芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に 云々~」の昔話です。

インコは母の肩に乗り、口に顔を寄せて一生懸命聞いています。母は飽くことなく「昔々~」と口寄せして何時間も延々と続けます。そういうことが何日間か続いたある日、インコが突然「昔々~」としゃべり始めたのです。その後、母はいくつかの昔話をインコに教え、インコは、3~5つの話をそらんずることができるようになりました。

ここに、教えるものと教わるものの熱意が高度に合致した際の結果を見ることができるのではないでしょうか。インコは母と同じの口調とスピードで昔話を語り、声だけ来ていると母がしゃべっているかのようでした。ただ、時々ピッとインコに戻る瞬間があるので、すぐにわかるのですが。

その母も今は認知症が進み、インコの記憶力にも劣るようになってしまっていますが、インコに昔話を教えたことはよく覚えています。

・信頼関係……この先生を信じて勉強し続けよう。この生徒は必ずできると信じて教えよう。

・コミュニケーション……教師と生徒の対話。納得するまで質問する。わかるまで教える。

・熱意……わかりたいという気持ち。教えたい、わかってほしいという気持ち。

この3つがあれば、いい結果が出ると私は信じています。

夏に、自分を甘やかさず頑張り、2学期は先生に食らいついて頑張る。皆さんの取組みを応援しつつ、それに期待もしています。

以上、1学期終業式の式辞とします。


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2017/07/07

校長室だより

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〇7月7日(金)

 中学校訪問

 生徒募集用のポスターと学校案内パンフレットができ、6月半ばから、生徒募集のお願いのため、空き時間を利用し、近隣の各中学校へポスターと学校案内パンフレットを持って訪問しています。ポスターだけという学校もありますので、パンフレットを持ってまた、訪問する中学校もあります。訪問の約束なしに伺っているのですが、失礼とは思いながら、なかなか予定を決められず、「この空き時間に行ける」とあらば、足を運ぶということをしています。

 訪問先では、3学年主任や進路指導主事(部長)、あるいは3学年担当の先生方にポスターやパンフレットを渡しながら、掲示や生徒への案内のお願いをしています。主任の先生に時間がある場合は、現時点での説明をしたり、質問に答えたりしています。校長先生が対応してくださる時もあり、お忙しいのに恐縮します。その中で感じるのは、本校への各中学校からの入学者の多少に関わらず、どの学校も本校に対する関心が高いということです。気を引き締めていかなければならなりません。

 また、保護者を交えた進路説明会にも現在までに3校からお招きをいただき、行ってまいりました。パワーポイントにより、本校生徒の表情や授業・行事の雰囲気が伝わるようにし、より本校に興味を持っていただくとともに、説明の終盤では、本校卒業後の進路についても説明し、姉崎高校入学後の向こう側にも目を向けてられるように意識をしています。9月に入ってからも説明会のお招きをいただいています。説明の内容を検討してバージョンアップしていきたいと思います。

 本来ならば、私が全部回るべきですが、物理的に限界もありますので、職員も手分けして回ることになります。その際にはまた、御対応よろしくお願いいたします。

 期末考査3日目が終わり、七夕の週末が静かに過ぎていきます。生徒の様子は落ち着いており、真摯に考査に向かう姿勢が見られます。問題に真剣に臨む表情はいじらしくもあります。勉強の成果が出ればよいのですが。

 そう言えば、このところ早朝の登校生徒がたくさんいるように思います。朝、試験勉強をしようという生徒が多くなるからでしょうか。欲を言えば、計画的に家庭での準備を進めていればいいのにとか、普段の日からこれくらい勉強に向かえばよいのにと思いますが、学校や成績に関心が向いていることは良しとしたいと思います。ここからもっと引き上げていこうと思います。


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2017/07/03

校長室だより

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〇7月3日(月)

 「気になる言葉・表現」

 今日の新聞の1面下の広告欄に「国語辞典」という本が載っていました。価格からすると辞書というよりは、単行本に「国語辞典」というタイトルをつけたもののようです。サブ・タイトルには、「言葉は、今この瞬間に変化している!」とも記されています。

 私が気になったのは、タイトルの前に冠されている「さらに悩ましい」という句です。おそらく、日々変化し続ける言葉についていくのは大変だ、また苦しむことが多くなってしまう、ということを言いたいのかと思われます。(言葉の変化を取り上げるということで、意識的に使っているかもしれません。)また、同じ新聞(某大新聞)の6月22日の記事には、「南海トラフ 予測と防災悩ましく」という見出しが掲載されていました。記事の内容から、大地震の予測は困難で、予測に基づいて防災対策を練るのも大変である、解決しなければならないことが山積していてどうしようもない、というようなことを言いたいらしいのです。

 これのどこが気になるのかと思った方は、すでに日本語の変化にしっかり対応しているのだと思いますが、私は、この例にあるような、「悩ましい」という言葉の使い方に違和感を覚えます。

 私は国語科の教師です。言語学者のように正確に日本語を操るほどの知識・技量を身につけているわけではありませんが、教室ではなるべくしっかりした言葉を発しようとは意識してきました。言葉遣いを正確にしよう、無知や誤用からくる過ちは正そうとしてきました。「独壇場」(どくだんじょう)を、正しくは「独擅場」(どくせんじょう)だ、とは流石に言いませんが、そんな風に言ってしまったら、日本語の根幹や機微が失われたり、違ってしまったりしないか、と感じられるのは気になり、引っかかるのです。

 それにしても、大新聞がすでに誤用を認めてしまっているのが驚き。私の対応スピードが遅すぎるのでしょうか。

 「悩ましい」という言葉の誤用は機微に関わる類のものです。本来の「悩ましい」の意味は、「官能が刺激されて心が乱れる思い、様子である」ということで、「悩む」という動詞の意味は持っていません。あえて言えば、「精神的に苦しむ」という意味を広げたと考えられますが、「官能が刺激されて」というところが「悩ましい」の重要なところで、これが消えてしまったら、もう「悩ましく」ないのです。「悩ましいしぐさ」などが本来の使い方です。しかし、誰かが色々と困難さを説明するのを面倒くさがり、「悩む」が入っているから「悩ましい」でいいのではないかと遣ってみたところ、これで意味は通じるみたいだし、簡単で便利だ、ということになったのでしょう。ここ数年の内に当たり前のように使われるようになりました。

 1、2年前に50代の知り合いと本来の「悩ましい」の使い方について話したことがありましたが、その人は、本来の意味すら知りませんでした。20代の人だったらまだわかるのですが、50代でもそうなのかと愕然としたことがありました。その人はどんな言語生活をしてきたのかと別の興味が湧いたほどです。

 私たち教員は、授業をはじめ、言葉で生徒に対応していく場面が多いですが、拙速に便利さに飛びつかない姿勢が必要かと思います。「先生」として正しい言葉遣いをするのは大事なことです。そこに思いを込めて指導するからです。その中で時々ブロークンな表現やフランクな表現があれば、ユーモアが生まれるでしょう。言葉にもメリハリとギャップがほしいものです。

 私はこの他にも、気になる言葉や表現がたくさんあって困っています。いちいち指摘していると人間関係を損ねるので聞き流してはいますが、もう少し言葉に鈍感になり、変化の流れに身を委ねられるようにしていこうと思います。

 「なので」でつなげていく話し方(「なので」は接続詞じゃないのに…)、「~してあげる」「~してくれる」と言い過ぎ(「この動詞を連体形にしてあげると~」という古典の授業をみたときはたまげた)、「こじゃれた」(最近あまり聞かなくなってほっとしている)、「ざっくり」(「ざっくりと切る」のがいつから「ざっくりとした話」になったのだろう)、「特化」(初めは誰かが「特価」で売るのかと思った)、「やばい」(どっちの意味なのか判別しづらいが、なんとなくわかるようになってきた自分が、いいのか悪いのは判別しづらい)、「~じゃないですかぁ」(「か」を少し伸ばすのも気に障るが、それほど親しくないのに同意を求められるのは不愉快。私は「いや」と言うことにしている)、この進化形に「私って、○○の人じゃないですかぁ」というのがある。「それは知りません」とはっきり言うのが当人のためと思う)等々。

 挙げればきりがありません。もっと大らかに接すればよいのでしょうが、そこまで大人になれないのも悩ましいことです。(この遣い方今風?)

 因みに、冒頭に書きました「大地震」ですが、正しい読みは「おおじしん」です。「だいじしん」と読んでいませんでしたか。1974年までは、ほとんど「おおじしん」と読まれていたと思います。漢語の前の「大」は「だい」と読むのが原則ですが、「地震」と「火事」は例外です。これにはこんなエピソードあります。

1974年にロサンゼルスを舞台とする地震パニック映画が日本で公開される際、邦題を「大地震」とし、読みを「だいじしん」と読ませた方がインパクトがあるとしてそのように宣伝し、以来、「だいじしん」という誤読が多くなったのです。諸説ありますが、私は中高生の頃から映画好きで、その当時の記憶もあるので、これがおそらく正しいと思います。これと似た例で、映画がきっかけとなって、間違いやすくなった漢字表記もあります。「危機一髪」です。この四字熟語は、髪の毛1本ほどの際どい違いで助かるかどうかという、極めて危険な状態のことを言います。従って、「いっぱつ」には「髪」という漢字をあてるのですが、1963年、ジェームスボンドシリーズの第2弾「ロシアより愛をこめて」が日本で公開される際、これではスパイ映画っぽくないということで、「007危機一髪」という副題もつけようということになり、加えて、「一髪」を「一発」にした方が感じが出るということで、「危機一発」にしたそうです。私は3歳でしたから、この経緯の記憶はありません。以来「一発」と間違う人が多くなり、今では「危機一発」が正しいと思っている人も無視できない数に上るとか。

そろそろ、これくらいにしましょう。


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2017/06/29

校長室だより

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〇6月29日(木)
 6月23日は、姉崎高校の創立記念日でした。当日は本校の沿革を記した資料と、校長から創立記念日に因んだ話を記した資料の2種類の印刷物を生徒に配付しました。
 後者の資料を掲載します。


平成29年6月23日 

生徒の皆さんへ

姉崎高等学校創立記念日にあたって

校長 小野  央 

 

 6月23日は本校の創立記念日です。今年で創立40年目です。

沿革については配付された別文書を参考にしてください。昭和53年(1978年)4月13日に第1回入学式が挙行され、188名(4学級)の新入生を迎えました。最初の入学者選抜検査は京葉高校で実施され、入学式も姉崎中学校体育館で行われるなど、新校舎落成までは大変な苦労をしたようです。しかし、生徒たちの勉学に対する意欲は旺盛で、希望に燃えて本校の校門をくぐったと聞いています。

昭和56年3月9日に第1回卒業式を挙行し、その後は1学年8学級、そして10学級と生徒数を増やしていきます。現在本校は、少子化等の影響で1学年4学級規模と、高校としては小規模校となりましたが、創立当時の先輩方の気持ちを想像し、何か感じるものはないでしょうか。

本校の基礎を築いた先輩方に応えられる学校生活を送っていますか。最近ちょっと締まりがないかな、と思うところがあるならば、今日を機会に気を引き締めましょう。また、入学当初の、「さあ、頑張るぞ」という気持ちを思い出してみましょう。創立記念日をきっかけに、40年の歴史を意識してほしいものです。本校の保護者の皆さんには、本校の卒業生もいらっしゃいます。伝統が脈々と受け継がれていることが感じられるのではないでしょうか。

ただ、注意しなくてはならないことは、伝統は受け継ぐだけではだめだということです。伝統とは器の中の水のようなものです。次の器に注ぐ度に少しずつ失われ、しまいには何もなくなってしまいます。伝統は、漫然と受け継ぐだけでは、その陰にある精神を忘れ、年を経るごとになくなっていってしまいます。歴史は長ければよいというわけではないのです。

皆さんは、自己の向上を図り、自己実現を目指す努力をすることで姉崎高校の伝統を減らすことなく次の世代に引き継いでいくことができます。

さて、「鶏口となるも牛後となるなかれ」という故事成語があります。「鶏口」とは小さな集団の長、「牛後」とは大きな集団に属し使われる者のたとえです。すなわち、「大きな集団で使われる者となるよりも、小さな集団の長になれ。」という意味になります。拡大解釈して、「大きな集団のビリでいるより、小さな集団のトップでいるべきだ。」とも言えるでしょうか。

本校の40年の歴史は、100年を超えるような伝統校からすればまだ短いものです。学校規模も、1学年8学級規模の高校と比べれば、小規模校です。上記のたとえで言えば、「鶏」に当たる学校です。しかし、私はそれが本校の良いところであると思っています。小さな集団であるがゆえに、自分のペースに合わせてじっくり学習に取り組めますし、学習成績の分布もなだらかなので、頑張った成果が順位となって表れ、励みになります。本校には、自己実現のためのスモールステップがたくさんあり、それを一つ一つクリアすることで、自己肯定感や達成感が生まれます。それに何よりも、集団の大小を問わず、トップにいる人は、人物・成績ともすばらしいものを持っています。姉崎高校のトップはやはり素晴らしい生徒で、どこに出しても恥ずかしくありません。そして、その座には誰が就いてもおかしくありません。こつこつ頑張ることで、本校では誰にでもその可能性があるのです。

私は大規模校で、進学校と言われる高校に進学しましたが、いくら勉強しても順位は上がらず、どんどん自信をなくし、気持ちは学習から離れていきました。大学受験でも、同級生たちは難関大学といわれるところに合格していくのですが、自己肯定感も低く、自信をなくした私は成績も伸びず、どこにも受かりませんでした。浪人はするものの劣等感の塊のようなものになっていた私は、受験競争の波に乗ることもなく、小さな単科大学に進学しました。

ところが、その大学で勉強して気づいたことがありました。その大学のトップクラスは、どの大学の研究室に行っても通用するレベルだったのです。当時のゼミの教授が感心して高く評価していました。つまり、小さな集団でもトップはすごいということです。

私は、自分は「鶏口」を目指すのが合っていたかもしれないと感じています。小さな集団でじっくり学習に取り組んでいたら、自信をつけ、より生き生きとした高校生活を送っていたかも知れません。姉崎高校に進んだ皆さんは、よい選択をしたと思います。ここでトップを目指し、自己実現を果たしましょう。本校は若く、伸びしろのある学校です。本校を伸ばしていく原動力は、皆さん一人一人の頑張りです。そこに新たな伝統が生まれます。

 

   6月23日は、太平洋戦争での沖縄地上戦が終結した日で、「沖縄慰霊の日」でもあります。

戦闘で命を落とされた方々の御冥福をお祈りいたします。


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2017/06/21

校長室だより

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〇5月9日追記 あいさつ運動の様子です。

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2017/06/20

校長室だより

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〇6月20日(火)
 6月16日(金)に陸上競技関東大会の応援に、県スポーツセンター陸上競技場に行ってきました。本校2年生錦織君が走り幅跳びで出場したからです。当日は熱いくらいの晴天でしたが、どの競技からも選手たちの真剣さ、競技に対する真摯さが伝わってきて見ごたえがありました。
 錦織君は高校1位の記録(7.6m)をもって試合に臨み、周囲からは優勝を期待されていましたが、5位の結果に終わりました。しかし、7月に山形で開催されるインターハイには進出できるので、次回に期待したいと思います。(詳しくは本ホームページのニュース欄をご覧ください)
 彼は、U18の世界ユースの日本選手にも選出され、世界レベルのパフォーマンスができる選手です。(現地ケニアの政情不安のため、選手団の派遣は見送られました。残念!)私は結果よりも、世界レベル、一流レベルで競い合えることの幸せを彼が感じ取っているかどうかが大事だと思います。それを感じながら競技に臨んでいるとしたら、すばらしいことです。昨日、彼が校長室まで試合の報告に来ましたが、その様子から私は、十分幸せを感じて高い意識をもって競技していると判断しました。
 彼が競い合っているレベルは、誰もが体験できる領域ではありません。その領域にいる人にしか見えないものを見ているはずです。ゆくゆくはオリンピックで世界の強豪と争うことも夢ではありません。そうなったら、また違う感覚を彼は味わうことになるでしょう。そういう世界を楽しむまでの選手に、彼が成長することを願っています。
 このような生徒が在籍しているときに姉崎高校で勤務できる私も幸せだと思います。
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